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スポットライト!ニュースの焦点を探る


by 取締役社長 吉田 悌
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昭和26年制作 相模原市構想鳥瞰図、特別公開中

   合併そして政令市へ 
 過去に描かれた都市整備構想から 
          将来像をあらためて展望  
― 相模原市立博物館で9月30日(木)まで

  相模原市立博物館(中央区高根3丁目)で、相模原が町制を布いていた昭和26年当時の執行部が描いた「構想鳥瞰図」が展示されている。
  
  近代史をひも解くと、この地の横山丘陵から境川にかけての広大な土地は、水利が悪く未開の原野だったが、江戸時代に開墾が行なわれ、明治期以降は養蚕が盛んになり上溝市場が繭、生糸の取引で賑わいを見せるようになった。また、明治41年にはJR横浜線、昭和2年に小田急線、昭和6年にはJR相模線が相次いで開通した。戦時色が強まる中で、昭和12年以降、陸軍士官学校(後のキャンプ座間)、相模陸軍造兵廠(後の相模総合補給廠)、相模原陸軍病院、陸軍機甲整備学校等の軍関係施設の軍関係施設が次々に設置され、周辺道路等の整備も進んだ。
  
  昭和14年には「相模原都市建設区画整理事業」が決定され、1668haにも及ぶ大規模な軍都整備計画が神奈川県により実施されることになった。それに伴い、町村合併の機運も高まり昭和16(1941)年4月29日、旧八カ町村(相原村、大野村、大沢村、田名村、上溝町、麻溝村、新磯村、座間町)の合併により、当時としては日本一大きく後の相模原市の基盤となる「相模原町」(人口4万5482人、面積108.71km)が誕生した。
 
  しかし、4年後に敗戦を迎えることになる。軍都としてこれからの発展が期待されながらも敗戦による軍都計画の破綻とそれから3年後の座間地区の分離という発展の礎を揺るがす幾多の苦難にさいなまれてしまった。

  この「鳥瞰図」には、こういった逆境を乗り越えて、市制への移行に想いをはせる当時の執行部の意気込みと夢、希望などが描かれている。相模原市はその後、昭和29(1954)年11月20日に市制を施行し49年後の平成15年4月1日には中核市、18年3月20日に津久井郡津久井町・相模湖町、19年3月11日には城山町、藤野町と合併、そして今年4月1日、政令指定都市に移行した。
  
  趣のある博物館を訪ね、通り過ぎてきた時間と移ろい行く季節を肌で感じながら、この「鳥瞰図」にそれぞれの将来像を足し描いてみるのもいいだろう。公開は9月30日(木)まで。なお、明日25日(土)午後2時から4時まで市史講演会「敗戦後の相模原再建の道 -座間分離から市制施行へ-」が同博物館大会議室開催される。講師は沖川伸夫氏(中央大学法学部兼任講師)で定員200名。無料。
昭和26年制作 相模原市構想鳥瞰図、特別公開中_c0203322_1154881.jpg

by sagamitimes | 2010-09-24 11:56 | 文化・芸術