相模原 色々 ニュース


by 取締役社長 吉田 悌(だい)
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社説 「時代への半鐘」

 小沢元民主党幹事長の強制起訴で
    国民として考えたいこと

 東京第5検察審査会は民主党の小沢一郎元幹事長をめぐる容疑について「起訴すべき」とする2回目の議決を出した。司法のプロである検察が「不起訴(嫌疑不十分)」としたことに異を唱え「小沢氏を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきだ」(日経10/5号1面トップ)という裁定を下したという。政治と金の潔癖なまでの透明性を求める国民の意を表わした結果とはいえ、果たして、今回のそれが妥当なものなのか。

 「公開の場」での説明責任を求めるのであれば「証人喚問」というかたちも取れたし、公開質問の場を国民が設定しそこへの出席を強く促すことだってできただろう。何よりも、真実の所在を確かめるためだけに起訴し、被告人として裁判に掛けてよいものなのかどうか疑問だ。

 無罪を勝ち取った村木厚子内閣府政策統括官が「これ以上、私の時間を奪わないでほしい」といったように、裁判で被告人は、金銭的なものを含め多大な時間と労力を奪われてしまうことになる。そのような人生の拘束ともいえる処遇を、移ろいやすい民意が一人の人間に与えてよいものなのだろうか・・・?

 しかし、確かに検察の下す起訴、不起訴の判断基準が不明瞭で国民には分かりづらいところもある。時にはこのような審査が必要となるときがあるのだろう。だが、だとするならば、司法の公平性、透明性を保つ意味でも、逆に「起訴」となった事案に対しその妥当性を問うための審査も、裁判を開始する前に並行して行なう必要があるのではないか。正義は、他人の罪を追及するだけではないはずだ。
by sagamitimes | 2010-10-10 19:51